深夜2時の深海にスマートフォンのムーンリバー
小学生の頃からずっと一緒だった飼い猫が
亡くなってから49日が経ちました。
今週は繁忙期で帰るのはいつも終電ギリギリ。
精神的には大丈夫だけどとにかくクタクタで
やっと眠れたと思ったら一瞬のまばたきで朝になっている日々。
深夜に何かがベッドに潜り込んでくる気配を感じて布団の中を覗いたら、死んだはずの猫がこちらを見つめていて嬉しくてよしよし、と撫でる夢を見ました。
ホラーは大嫌いで、けれども幽霊の存在を信じていないのですが、この時ばかりはいるのかもしれないなと思いました。
もしもそうだとしたらまだ傍にいるのか、それとも49日目の別れに一目姿を見せてくれたのかもしれません。
昔、父が亡くなった時も49日目あたりに父の夢を見ました。
白い駅のような、エスカレーターのある空間で「それじゃあ」と切符を取り出す父の財布の中には、もう1枚切符があるのが見えました。
朝その話を母にすると、わぁっと泣きながら「一緒にいくか?」と切符を差し出された夢を見た話をしてくれました。「まだ行けない」と断ると、目が覚めたそうです。
そしてその一週間後に当時飼っていた白い猫が、それまでずっと元気だったにも関わらず急に死んでしまったのを見て「連れて行ってしまったのだな」と幼心に思ったのを覚えています。
地平かに天成る
この景色を見つめながら、平成という元号の由来について思い出しておりました。
地平かに天成る
国の内も外も、天も地も平和であるように、という願いが込められているそうです。
摩天楼のようなこの日本の景色は、平成という時代の中でたくさんの人が身を粉にして作り上げたものなのだと思いました。どうかこの地上の星々の瞬きがいつまでも消えませんように、と願っておりました。
この25年の歳月、私は平成という時代に生まれ、生きてきました。
風が桜の花弁を運ぶよりも早く、ハンドスピナーが回るが如く目が回るような時代だったと思います。
何もかもが鮮烈で自分が本当に求めているものが分からなくなりやすい時代でもあったと思います。
けれども、痛ましい事故や事件が起こる度、天地災害に見舞われる度、ひとの心臓の速さは近くなっていたように思います。
いつも傍にあるからこそ忘れてしまいがちですが、平和であることの尊さは、この時代においてけぼりにせず、手を取って次の時代にもお連れしたいと思っております。
閉じ込められた波
イルカの皮膚のような薄グレーのカーテンをひっくり返すと、そこには閉じ込められた波がありました。
ずっと昔に一人旅をした時に見た冬の暗い海を思い出しました。ぬらぬらと吸い込まれそうな大きな波はまるで巨大な生き物のようで、いつか誰も見ていない隙にひとりやふたり食べてしまったのではないかと思うような不穏な光景でした。
誰の心にもそうしたひとりやふたり飲み込んだ心の海があるのではないかと私は思うのです。
水底に何が沈んでいるのかはその人にしか分かりえず たまに、もしくは毎夜その岸辺に腰掛けて海を眺めるのです。
空には月も雲もなく、ただただその水底に思いを馳せるのです。
心に誰も住まわせていない人などいないのです。
そして、隠された海への小道はその人にしか拓かれないのです。
一度沈んでしまったものを全て掻き集めて元通りにすることは難しい、それをみんな分かっているからすべてを海に沈めたまま、日が登ればその道を引き返し、何事も無かったかのように朝日を浴びるのです。